あの9・11 アメリカ同時多発テロ から丸5年 時が経つのは早いものです
近年は 当時の現地の作業員たちの健康被害に注目が集まっているようです
呼吸困難など砂塵による影響が今も続いているとのこと ひどいね…
ユトラにとって アメリカで起きたテロは人事には感じられません
第一に 高校で留学して むこうで卒業したのが2001年6月
その後 帰国して間もなくの事件だったので 余計に身近に感じられました
崇高なる宗教を 恨みつらみの声明に利用するなんて許せない
それに便乗して戦争するのも許せない
歴史をひもとけば争いの連鎖 この鎖を断ち切るにはどうすれば
人間同士なのに 人種が違ったって わかりあえないはずないのに
* 以下メモ *
アメリカ同時多発テロ
2001年9月11日(現地時間8時〜)
ハイジャックされた4機の旅客飛行機が象徴的建物に突入
犠牲者 約2973人(犯人含む)
犯人は モハメド・アタなど 反米イスラム過激派アラブ系グループ
アメリカ・ニューヨーク 世界貿易センター
北棟/アメリカン航空11便 南棟/ユナイテッド航空175便
2機の突入によりツインタワーは炎上・崩壊 周囲も巻き込む
アメリカ・ワシントンDC アメリカ国防総省本庁舎(ペンタゴン)
アメリカン航空77便
死傷者テロ以後 建物は迅速に復旧がなされた
乗客のテロリストに対する反撃があったが 墜落
ユナイテッド航空93便 この物語は映画化された
時の大統領
第43代 ジョージ・ウォーカー・ブッシュ(任期2001〜)
米は計画の首謀者を 国際テロ組織 アルカイダ の指導者である
サウジアラビア人 オサマ・ビンラディンと断定
※ ただし アルカイダを組織したのは もともとCIAであった…?
アメリカによる報復攻撃
不朽の自由作戦 (OEF:Operation Enduring Freedom)
対テロ戦争の名目で オサマ・ビンラディンを保護する
アフガニスタンの イスラム原理主義タリバン政権 を排除すべく
米英等からなる国際連合軍が 10月7日より開始した 空爆作戦
アフガニスタン国内の動き
アフガン北部の 非パシュトゥン系勢力に CIAがバックアップのため接触
11月より北部同盟軍の動きが活発化 米は形式的には援助と言っている
首都カブールを攻略後 クンドゥズ そして カンダハル制圧
12月タリバン政権消滅 → アフガニスタン暫定行政機構が発足
ハーミド・カルザイ(国王派)議長に就任
翌年6月 アフガニスタン・イスラム移行政府成立
2004年 国民投票による大統領選 ハーミド・カルザイ当選 大統領 就任
しかし依然タリバンの残党や武装勢力は健在であり 特に南部の治安が悪い
現在の 軍事指揮権は 米国ではなく 北大西洋条約機構(NATO)にある
指揮下部隊は 国際治安支援部隊(ISAF 37カ国よりなる)
イラク戦争
そもそもの因縁は 90年代の石油過剰採掘による価格不安からなる
※本来 アメリカ同時多発テロ との関連性は薄いことは明記しておく
まず アラブ社会主義であったフセイン政権と
イスラム原理主義のアルカイダは 相容れない立場にあるらしい
開戦理由となった 大量破壊兵器自体も イラクは所持していなかったと
アメリカ自体が派遣した調査団が最終報告を提出
テロ報復から 流れに導かれた米のイラク攻撃は かなり強引だった
敢えて言うなら ユトラも石油の利権が絡んでいるとしか思えません
イラクのクウェート侵攻 → アメリカが介入した 湾岸戦争に遡る
当時の大統領は ジョージ・ウォーカー・ブッシュ(小ブッシュ)の父
第41代 ジョージ・ハーバード・ウォーカー・ブッシュ(大ブッシュ)
ちなみに この家系は石油会社で大きな利益をあげている
(ブッシュ大統領の家柄を非難する意図はありません)
湾岸戦争終結後 イラクが受諾した停戦決議 ”国連決議687” において
イラクは大量破壊兵器を持ってはいけないことになっていた
しかし 以後 イラク側は以前より反米感情を高め
武器を持っていないかを調べる 国連査察 を妨害しはじめたのが
両国の関係悪化の原因となった
同時多発テロ以後 右に傾きネオコン(新保守)傾向になったアメリカは
対テロ対策を理由に アフガン攻略を順調に進めたのに勢いをつけ
世論がそれを後押しする形で 世界中の非武装化を 対外政策の柱とした
小ブッシュ大統領は 一般教書演説における「悪の枢軸」発言で
テロ国家として イラク・イラン・朝鮮民主主義人民共和国の名をあげる
特にイラクに対し 要求し続けてきたのに 実行されていない軍縮を追及
イラクは とりあえず査察に応じ 戦争回避の姿勢もとったが
最終的に 小ブッシュ大統領はテレビ演説で
イラク大統領 サダム・フセイン にイラク国外への退去を命じると共に
攻撃予告の最後通牒を行う しかしフセイン大統領は 徹底抗戦を主張
2日後の2003年3月19日 米英 連合軍による”イラクの自由作戦”を開始
戦局は ハイテク化された軍事作戦を行った連合軍が 猛スピードで圧勝
1ヶ月あまりで バグダッド攻略を勝ち取り フセイン政権が崩壊
しかし その後の治安の維持に ハイテクは通用せず 国民の反発を招き
旧イラク軍のレジスタンス活動などにより 戦闘終結後に死者が増大
アメリカ国内では軍への志願者が減り 人員不足にもなり
占領政策は現在まで 失敗が続いている
今年に入り ようやくヌーリ・マリキを首相とした正式政府が発足
しかし事態は収集ならないまま 治安は悪化の一方を辿っている
サダム・フセインは現在 アメリカに拘留されている
イラク戦争の日本への影響
・日本も自衛隊を派遣している
・イラク国内の治安低下による石油の不安定な供給による値段の高騰
(これは複合要素でもあるので 必ずしもこの理由からだけではない)
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